安室奈美恵さんはやっぱり素敵だった。

安室奈美恵さんはやっぱり素敵だった。

引退発表があって思い出した。

去年、歌手の安室奈美恵さんが引退発表をして世間を騒がせたのは記憶に新しい。

ファンの方にとっては残念の一言なのだろうけど、同時に彼女の新しい人生の門出をそっと応援している方々もいらっしゃるんじゃないかな。

俺にとって安室さんはとくにファンというわけではないのだけど、とても思い入れの深いアーティストさんのひとりだ。

1996年の秋、俺は安室さんに会った。

まぁ、会ったというのは少し大げさな表現なので訂正。実際は彼女のPVの撮影クルーに参加したときに、見た、というのが正しい。

20代の過酷な日々。

その年の夏、俺は入社2年目の大手出版社を退職した。思い描いていた世界とは違った、といえば聞こえはいいが、実のところ、こらえ性がなかったからに過ぎない。

今のように働く環境が改善されるずっと前の話で、入社以来、連日、タクシー帰りの日々だった。その上、たたき上げの編集長には毎日、怒られ続け、やらせてもらえる仕事と来たら誌面の校正(間違いを探す作業)ばかり。今の言葉でいったら間違いなく「ブラック企業」。

ま、そんなの当たり前の時代だったのだけどね。

でも、俺はそんな環境に我慢が出来なかった。何のために出版社に入ったのやら。

結局、次の就職先も決まらないまま、俺はその出版社を飛び出した。世の中はオリンピック(たしかアトランタだったと思うが)ですっかり盛り上がっていたけれど、その熱気とは真逆に俺はといえば、将来への不安で押しつぶされそうな冷たい夏を迎えていた。

次の就職が決まらず、ブラブラ過ごす日々がしばらく続いた。

前の会社では残業代+お金を使う暇がなかったおかげで、それなりの蓄えができていたものの、そうそう余裕をかましているわけにもいかなかった。で、結局、求人雑誌で見つけて応募した映像制作会社にどうにかこうにか入ることができたのが9月の末頃だった。

神保町に事務所のある10人程度の小さな会社で、メインの仕事は通販CMの再現VTRを撮っていた。今では絶対NGな怪しいダイエット食品や開運グッズの撮影もやってた。それはそれで結構面白い現場だったので、機会があればそのお話もいつの日か。

まぁ、とにかく俺はその会社にADとして雇われ、結局、前職の出版社以上に過酷な労働環境の中、馬車馬のように働かされることとなった。

つくづく、ツイてない。

さて、その会社にどういうわけか、とあるビッグアーティストのPV撮影の話が舞い込んできたのである。

もちろん、メインの撮影クルーとしてではなく、孫請けのさらに孫請けレベルの、もはや単なる雑用係レベルだと容易に想像ができる案件。当然のごとく、上司や先輩たちはそんな仕事に駆り出されることを拒み、これまた当然のごとく、お鉢が俺と俺の4か月先輩の佐々木さんにまわってくることになってしまった。

そのアーティストこそが安室奈美恵さんだった。

PV撮影の現場で。

実は現場に行くまでそのことを知らされていなかった。

どれだけ信用されていなかったんだ、あの会社は(笑)。

ただ、10か条の現場心得みたいなものが事前にA4の紙で配布されてきて、全部は覚えていないけど、「アーティストとは会話をするな」とか、「サインをもらうな」とか、現場でそんなことしねーよ、ってことがつらつらと書き出してあったのを見て、なんだか無性にイラっとしたことだけは覚えている。

11月初めのころだったと思うけど。

現場は豊洲にあった倉庫で行われた。撮影スタジオではなく倉庫だったことが、その撮影の規模の大きさを物語っていた。大きなセットと大人数を収容できるのは手っ取り早く倉庫を貸切ってしまうほうが何かと都合が良い。撮影当日、俺は先輩の佐々木さんと途中の駅で落ち合って一緒に豊洲に向かった。倉庫前につくと、通用口でスタッフ用の通行証を受け取り、中に通された。そこにはすでにセット組みのスタッフが先に入っていて、セットの周囲は様々な恰好をしたスタッフたちで騒然としていた。

そんな規模の現場は初めてのことだったので、俺は心が躍るような気持になった。

ふと隣を歩く佐々木さんの顔を見ると、彼も俺と同じような顔をしていた。

「なんか、テンション上がりますね~!」

「だよな~!ラッキーだったな、俺たち」

そんな会話を、ほかの人には聞かれないように小声で話した。

浮かれてる、なんて思われたら面倒くさい。それを会社に報告でもされたら面倒どころの話ではないから。俺たちは、はやる気持ちを押し殺して、いたって冷静な表情を保っていた。

その、つくろった冷静さが、一気にふっとぶ瞬間が訪れた。

「安室さん、入りまーす!」

の場内アナウンス。

ん? ……だれ? ……アムロさん??

一瞬、誰の事かわからなかったが、遠くに見える華奢な女性のシルエットを見て疑念が確信に変わった。

俺は思わず、佐々木さんの顔を見た。

佐々木さんも俺の顔を見た。

言葉こそ交わさなかったものの、「俺たち、やべぇーとこに来ちゃったーー!」ってテレパシーは間違いなく二人の脳の間を行ったり来たりしていたはずだ。二人ともまだ20代前半だった。こういう状況には全くと言っていいほど、慣れてなんかない。俺は興奮しすぎて曇ってしまたたメガネを外し、服の袖で必死に拭いていた。

忘れられない一日になりそうだ、と身が引き締まる思いがした。

奇跡が起こった。

佐々木さんとは持ち場を分けられ、俺はピンク色の小さな紙キレがいっぱい入ったザルを持って、それまで見たこともないようなデカい扇風機の前に立たされていた。このピンク色の紙は、花吹雪であろうことが想像できた。

やるんだろうなぁ、この扇風機の前で。

結局、ものの見事に雑用係でござるよ。自分のおかれている状況に思わず失笑した。これじゃ、まず、安室さんを至近距離で見る事なんてできなさそうだね。まぁ、こんなもんだよね。さっきは無駄にテンション上げて損したわ。それにしても、腰にぶらさげてるトンカチの重いことといったら。

 

ところが、奇跡が起こった。

 

花吹雪の入ったザルを持って、ぼけーっと突っ立っていた俺の前を、あの安室奈美恵さんが通り抜けていったのである。

ハッとした俺の顔を、安室さんの後ろを歩いていたマネージャーらしき中年のおばちゃんが怪訝そうに見ていた。

いかん、まじめに仕事しなくては。

今ならCG合成でアーティストと背景は別撮りするのが当たり前だったりするのだけど、20年前の当時はCGがまだそこまで普及していなかった。

俺はラッキーなことに、安室さんの後ろを舞う「花びら」を飛ばす係だったことがそのあとすぐに分かった。どういうわけか、現場のチーフはそのことを全く教えてくれてはいなかった。でも、そんな細かいことはどうだっていい。諦めていた至近距離の安室さん。

 

はい、今、至近距離にいるんです!

 

俺の手は汗でいっぱいになった。掴んだ紙の花びらが手のひら一杯にくっついた。絶対に失敗したらいかん。俺のミスでテイクを何回も繰り返すようなことがあったら、マジで会社クビになるかも。そんな恐怖が頭をよぎった。

実はそれから先のことはあまりにも緊張していて、よく覚えていない。

とにかく、ディレクターが納得いくまで2時間以上もの間、俺は何度も何度も花吹雪を飛ばし、何度も何度も汗だくになりながら床に散らかった花吹雪を集めて扇風機の前に立った。その間、安室さんは嫌な顔ひとつ見せずに演じつづけていた。

そして、一度だけ、たった一度だけ、床に落ちた花吹雪を集める俺に、安室さんが声をかけてくれたのだ。

 

「大丈夫ですか?」と。

 

俺は思わず、うわずった声で「はい!」と返事をしてしまった。禁止項目を破った。

でも、それをとがめる人なんているはずもなかった。

俺はひたすら、こんな自分に声をかけてくれた安室さんの期待に応えるため、花吹雪を飛ばし続けた。雑用係だなんて、そんな風に考えていた自分のことをいつの間にか恥じるようにもなっていた。雑用なんてないんだ。ひとつひとつ、大切な仕事なんだ。そんな風に自分の仕事に誇りを持ち始めていたんだ。

すべては彼女がかけてくれた言葉のおかげ。

やっぱり、安室さんは素敵な人だった。

あの曲が気づかせてくれる。

あの現場にいたすべてのスタッフは、どんなに小さな役目でも誇りをもって取り組んでいたのだと思う。今だからそれがよくわかる。

安室さんが一流のアーティストであるように、それを支えるスタッフもまた一流であるのだ。あの日も一流の人たちが一丸となって撮影に挑んでいた。安室奈美恵さんという素晴らしいアーティストを、最大限に輝かせるためにみんなみんな必死に取り組んでいた。

そんな現場の一員になれて、しかも、一言でも彼女に声をかけてもらって俺の心は幸福感で一杯になった。

あの日、俺の持ち場が終わったのは夜の11時過ぎ。

それまでの人生で最も長く疲れた一日となったことは言うまでもない。

撮影倉庫からの帰り道、事の顛末を聞いた佐々木さんが俺に見せた悔しそうな表情は、その日の俺の勲章になった。


撮影当時、「M25」と通称していた楽曲名が「CAN YOU CELEBRATE?」だということを知ったのは、翌年の2月に曲がリリースされてからのことだった。

俺が飛ばした花吹雪はしっかりあのPVに映っている。

画面には映っていないけど、安室さんの左側で、20代の俺は汗だくになりながら花吹雪を飛ばしている。今でも時々、仲間内でカラオケに行くと誰かがこの曲を歌って、俺はあのPVと対面することになる。なんだか、懐かしいような、ちょっと切ないような不思議な気持ちになる。

俺は結局、あの後すぐに映像会社を辞めた。

紙媒体での編集者の夢を捨てきれなかったからだ。

退職後、雑誌を中心にやっていた小さな編集プロダクションに入りなおして、そこでも馬車馬のように働いた。思えば、死ぬほど働いたのが俺の20代だった。

夢もあった。

野望もあった。

そんな自分に誇りも持っていた。

あの曲がそれを気付かせてくれるのだ。

人は年齢を重ねるにつれ、物わかりのよい生き方をしていく。周囲との協調をはかるようになっていく。それはそれで良いことだと思う。思い込みが激しく向こう見ずで、自分勝手が許されるのは若さゆえの特権なんだから。でも、いつまでも持ち続けなきゃいけないものだってあると思うのだ。

それは情熱であり、誇りであり、何より一生懸命であることだ。

俺も、まだまだだな、と思った。

40歳を過ぎたばかり。人生はこれからなんだ。

もう一度、がむしゃらだったあの頃を思い出して、人生を駆け抜けてみようか!

 

安室奈美恵さん、本当にお疲れさまでした。

数々の感動と思い出をありがとう!

 

安室奈美恵さんはやっぱり素敵だった。- 完 -

※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

俺の追想録(目次)はこちら

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