「自信とか自尊心ってね、幻なんですよ」編集者・トニー★ベイツが挑戦し続ける理由(2)

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「自信とか自尊心ってね、幻なんですよ」編集者・トニー★ベイツが挑戦し続ける理由(2)

留学を終え、彼が次に目指した場所は東京。22歳の彼の新たな挑戦が始まろうとしていた。(取材・文:GreenTimes 編集部)

次の目的地は、「東京」。

「僕はイギリスを経由して東京に来ましたが、根本的には田舎者に変わりはありません。都会に憧れて地方から上京する多くの若者がそうであるように、僕も東京で自分の力を試したいと思うようになりました。若さゆえの特権というか、自分ならできるという根拠のない自信もありましたし」

「最初に住んだのは東京のお隣、横浜市。居を移して3ヶ月間は、親からの援助を受けて職探しをしていました。今から思えば、全くの無計画でしたね。当時は東京の地理はおろか、切符の買い方ひとつ手探り状態だったわけですから。そんな見知らぬ土地で海外帰りの若者が自力で就職しようっていうんですから、無謀でしかないですよ」

「英語ができる」若者。

当時はまだそこそこ珍しかった「英語ができる」若者。それだけを武器に小さな出版社に入社した。そして、その仕事が彼のその後のキャリアを決定づける。

「出版社に入りたかったとか、編集者になりたかったとか、当時、そういう発想はまったくありませんでした。あの会社に入ったのも、もとはと言えば、偶然目にした新聞の求人欄がきっかけ。「海外出張あり」「要英語」って記載してあって、出来そうだからとりあえず応募してみようってノリ。とにかくあまり深くは考えていませんでした」

「その会社は海外旅行者向けのガイドブックを出版していまして。配属は広告営業部。現地に赴いて広告代理店とかホテル、レストランなどの宣伝担当者と商談をして広告出稿の契約をとってくる仕事でした。1回の出張は2週間程度でしたね。その後は一旦帰国してまた別の国へ出張に出る。その繰り返しでした。忙しい毎日でしたけど、苦に感じたことはなかったです。幸い上司にも恵まれて、社会人として大いに育ててもらいました。僕のスタートラインです」

その後、彼は何度か転職をしたものの、業種だけは一貫して編集やデザイン制作の現場にこだわっていた。

気がつけば妥協の連続。

「わりと早い段階で自分は営業には向いてないと悟りました(笑)。売るよりも作るほうが好きだったんですよね。もともと文章を書くのも好きだったので、自然と作り手側に移行していきました。ただ、スポンサーありきの仕事が多かったので、先方の担当者とのコミュニケーションには営業マン時代に培った交渉力はとても役に立っていたと思います」

20代、30代前半と駆け抜けてきたトニー氏だったが、36歳になった頃、大きな転機を迎えることになる。2012年の事だ。

「なんだか、疲れちゃったんですよね。当たり前なんですけど、スポンサーの意向が絶対でしたから、自分たちが本当に良いと思ったものを中々世の中に出すことができなかった。気がつけば、妥協の連続。もちろん、自分自身の力の限界だということはわかっていました。でもそれ以上に、小さな編集会社の乗り越えられない壁みたいなものに閉塞感を感じていたのだと思います」

「違う世界が見てみたいな、と思うようになって、7年間務めた会社を次の予定もないままに退職することにしました」

変な度胸だけはあるんですよ、と笑うトニー氏。彼の目指す「違う世界」とはいったい何だったのか。

(つづく)

グリーンヒルキャッスル

上京して初めて借りたアパートの前で。

トニー★ベイツ

1975年北海道生まれ。本名非公開。出版社、編集会社などを経て2012年、楽天グループの新規事業のスターティングメンバーに加わる。4年間の編集長経験ののち、フリーランスに転身。2019年、友人のぼくもとさきこ氏とともに「たんぽぽ TERRACE プロジェクト」を立ち上げる。